発達障害というあいまいな概念をどう捉えるか
Manbow(@Manbow_pastel)です。
登録しているメルマガで、興味深い記事を読みました。
~以下、引用~
Manbowさんは、
本当に発達障害者ですか?
「本当ですよ!
私はちゃんと病院で
○○検査もやって、
○○の診断結果も貰って、
正式なADHDと言われたのです!」
「それに、この生きづらさも事実です。
それなのに、発達障害じゃない、
なんて言われたら、どうすればいいのか
分からなくなります!」
そう。
発達障害の診断の受けた方の多くが、
自分の症状を
自分のせいにして責めて
潰れそうになっています。
その苦しさを
どうにかしたくて、
「あなたはADHDです。
生まれつきの脳機能障害ですから、
あなたのせいではありません。」
という診断を貰うことで、
ホッとしたかっただけなのです。
これは、私の意見でしか
ありませんので、
盲信して欲しくはないのですが、
ADHDの検査を受けた方なら
お分かりのように、
いくつかの発達検査を受けたり
問診をしたりするだけで、
「人間が作った基準」に従って
人間が判断しているだけです。
つまり、発達障害というのは、
「人間が基準を作った障害」です。
耳が聞こえない、
とかそういうハッキリした
障害ではないのです。
先天的にそうなのかどうかも、
特定できる証拠はまだありません。
~中略~
だから、
発達障害を
ドキドキしながら
カミングアウトしたのに、
「あー最近、流行ってるよね」
って言われた。
なんて悲惨なことも
起きるわけです。
こんな話を聞いて
悲しい気持ちになった方がいたら、ものすごくつらいのですが、
私の発達障害に対する見方は、
今は、こんな感じです。
私は、ADHDっていう属性は
あると思っていますが、
それが「障害」
だと捉えるつもりはありません。
診断をもらえなかった
グレーゾーンの人たちも、
仲間だと思っています。
そもそも、脳のことは
まだほとんどが解明されてなくて
脳のここが、
こういう時に電気信号を出した、
とかそんな曖昧なレベルです。
だから、脳に効く薬も、
憶測のレベルの薬だ、と言えます。
だって、ADHDの原因ですら、
ドーパミンが不足している
「と言われています」、
っていう断定しない語尾なんです。
まだそういう未開発な分野なんです。
~引用終わり(太字はManbowが付けました)~
只野さん(@adhdillustrator)のメルマガより
僕がポイントだと思った点は2つ。
①脳については未開発なところが多く,発達障害の原因は、まだはっきりと特定・断定できない。
②発達障害というのは、「人間が基準を作った障害」である。
もう一つ、別の方のサイトから引用します。
私は「本人が生きやすくなれば、ADHDだろうがASDだろうが、名称や診断名なんて正直どうでも良い」と思っています。
同時に「本人が生きやすくなるのなら、ADHDやASDの診断名・概念を手段として使ったら良い」とも思っています。
私は発達障害・ADHD・ASDの概念が無かったら「努力不足のダメな人」でした。
概念があったからこそ「さあ、これから、どうしよう?」と考える事が出来ました。
その一方で「ADHD/ASDだから××なんだ、出来ないんだ」と失敗の原因を診断名のせいにしてしまう時もありました。
~中略~
恐らく当事者の皆様が1度は考えて落ち込んだ経験があると思います。
そんな時は充分な睡眠と栄養を取って冷静になってから「私はADHD/ASD傾向があって、××という困り事がある。だったら、○○という対策が立てられるのでは?」という考え方をして欲しい、と願っています。
本来「現状よりも生活を良くする手段を得る為」に診断されたはずですから。
発達さんへの案内板~生き辛い症状を、取るに足らない特徴に~
https://developmental-information-board.com/frontpage/about-notation/
より(太字はまたManbowが付けています。ご了承ください。)
診断の有無やADHDやASDといった概念に、振り回され過ぎないことが大切。
と言うのが僕自身の考えです。
白か黒か。診断がつくかどうか。
それは、社会的な支援を受けたり、薬を頂いたりする上ではとても重要です。
ないがしろにはできません。
自分に発達障害の特性があると分かるまでは、森の中をさまよっているような、出口の見えない不安にさいなまれている人もいると思います。
なぜ、他の人がいとも簡単にできることが、自分にはひどく難しいのか。
まぜ、自分はこんなにも周囲とのズレや違和感を感じるのか。
本当に、わからないのです。
そういった事に対する分かりやすい一つの「答え」が、発達障害の特性を知ると分かります。
「そうだったのか!」と。
癒やされる経験はとても大切だと思います。
前に進むきっかけになるので。
ADHDとか、ASDというようにカテゴライズすることにも、ちゃんと意味があると思っています。
ただ、「人間が作り出した概念」なので、突き詰めて考えると、
とか、
「ADHDもASDもも、LDも少しずつあるぞ!でもチェックリストをやったら、どれも基準を満たさない。」
という事が起こるのは自然なことです。
そこにこだわりすぎると、また森の中をさまよってしまいます。
「自分は何なんだ。」と。
診断を受けることは、ゴールではありません。
自分に特性があると認知することは、自己理解のスタートです。
本やインターネットで多くの情報を集めたり
自分で工夫をしたり
同じような特性のある人と話したり
他の人に自分の特性や困りごとを自分の言葉で説明したり
そういった事を繰り返していくと、自己理解が深まり、少しずつ生きやすくなってくるのではないでしょうか。
発達障害の概念も、診断名も、自分が生きやすくなるためのツールとして使えたらいいと思います。
この分野に関して、やっと少しずつ言語化ができてきています。
先に引用した文章を書いたお二人が、きっかけをくれました。
ありがとうございます。
そして、最後まで読んでくださった貴方へ。
ありがとうございました。