ADHDの特性があることで、自分が恐れていることは何なのか。
前回の記事(リンク)でも書いたように、発達障害の特性があることを正しく理解してもらうことは、結構難しいと感じています。
決してできない、と言っているわけではありません。
先日、ある相談をしました。
「職場で、行動が目立ち浮き気味な人がいて、周りからよく思われていない。僕もよく思っていない。でも、その人を排除するのは違う気がする。」
という内容です。
相談した内容は自分のことではなかったのですが、話した後、自分が何に恐れているか、どんな風に接してもらえたらありがたいのか、ということが、言語化できる気がしました。
自分は恐れていることは何なのか
ズバリ、自分が他の人と違う人間だと見なされ、排除されることです。
自分が、他の多数派の人とは違う生き物と見られて、同じ人間だと扱われなかったら嫌だ。見捨てられてら悲しい。
大人だから表向きには普通に接してくれていても、心の中では「冷たい境界線」が引かれていたらどうしよう。
そういう恐れや不安があったのです。
だから必死に「普通」(平均的で目立たない)ようにしていようとしていた時期もありました。
特性のある自分をどのように捉えるか
薬を処方してもらったり、様々な制度を利用するために診断基準は必要で、医学的にはある程度白黒はっきりさせる必要があると思います。
ただ、そこに囚われすぎるのは、よくないと思うのです。
ネットで発達障害のある方が
「定型の人が嫌いです。」
といった書き込みを見たことがあります。
色々と、理解されず辛い経験があったのかもしれないと推測します。
ですが、特性があまり強くない人から、サポートを多く受けられることもあると思うのです。
(だって、あまり特性のない人は、特性のある人には難しいことを、いとも簡単にこなしてしまうことも多いのです。味方にすればこれほど強い存在はありません。)
特性のあるなしで区切り、「発達障害特性のある人」「ない人」できっぱり分けてしまうことには、違和感があります。白黒はっきりしないグレーゾーンの人も多く存在しますし、そもそも特性の全く無い「真っ白な人」なんて、存在しないからです。