発達障害の特性に、良いも悪いもない。
「空気が読めない」とか、「同時並行で処理するのが苦手」といった脳のクセに起因する発達障害の特性に、本来良いも悪いもないというお話です。
上の例で考えると、以下のようなエピソードが考えられます。
・「空気が読めない」ので、話し相手の気分を察することができず、その場にそぐわない失礼な発言をしてしまい、友人に嫌な顔をされてしまった。
・同時に複数の案件を進めようとして、大量に抜け漏れが発生し、仕事が遅くなって締め切りに間に合わず、上司に叱責された。
発達障害でなくても、このような失敗は起こり得ます。
ただ、特性のある人は失敗の程度や頻度がすさまじく、それが元で仕事や友人関係などに支障をきたすことがあります。
自分が周りの人と同じようにできない。人から責められたり、自分を責めたりすることで、「だから自分はだめなんだ。」と自己嫌悪に陥る。
何度も同じような失敗を繰り返して、「だめだ」という思考が強化されていく。
そんな経験が、私にもあります。
でも、本当にだめなのでしょうか?
「簡単にできる」「できにくい」という能力的な凸凹はあります。
(あえて今日は「できる」「できない」という表現をしません。工夫や改善によって「できる」ようになるケースもあるからです。)
でも、本来は特性に良いも悪いもないのです。
発達障害の特性は生まれつきのものです。
不注意などの特性を薬などで軽減することはできますが、消すことはできません。
もし生まれつきの特性に良し悪しがあるのなら、「良い赤ちゃん」や「悪い赤ちゃん」も存在するはずです。
生まれたときから、
「自分はだめなんだ。なんでこんなにできないんだ。」
と打ちひしがれている赤ちゃんがいるでしょうか。
能力的な凸凹はあって、それによってうまく行かないことを「良い」とか「悪い」と決めているのは、周りの人や自分です。
「事実」に対して、「評価や判断」をしているのです。
事実と評価・判断は、明確に切り離す必要があります。
何かがうまくできないから人間としてだめなんてことはありません。
生まれたばかりの頃は、「生まれてきてくれてありがとう」とか、「何か一つできることが増えて拍手」なのに、大人になるにつれて、いつの間にか「○○ができないからだめだ」「こんなこともできないの」になっていく。少し寂しい。
— Manbow (@Manbow_pastel) 2019年11月16日
フラットに、評価や判断をしない(これが大人には難しいのですが)ことで、「ありのまま」のその人が見えてくるのかも、いうお話でした。