マンボウのうっかりライフログ

やらかす自分のオンライン おいしいものに、用がある。やりたいことを、やるために。うっかりでおっちょこちょい、ADHD特性のあるマンボウが、興味のあることを思いつくままにつづる雑記ブログです。

「がんばる」ことに対する自分の考え

がんばらなきゃいけないのか?がんばっているのか?その両方か。

 
これを読んでいる方は、「がんばれ。」と言われるのと、「がんばっているね。」と言われるのはどちらがいいですか?
 
ケースバイケースなのかもしれません。
言われたのが、仕事中か、家で家事をしている時なのか。
また、上司から、夫から・・・誰に言われるかで感じ方も違いますね。
 
 
僕は、自分の子どもが生まれた直後に、同僚の方から
「公私ともにがんばれ。」
と言われたことがあります。
 
これからは、仕事に加えて子育てもある。
 
大変だけど、どちらもがんばりなよ。
 
応援のメッセージであることは、間違いありません。
 
しかし、仕事も育児も十分にはできていない、と感じていた当時の私は、
「今のManbowではまだまだがんばりが足りない。もっと努力するように。」
 
と言われたようにも感じ、どうも息が詰まる感じがしたのです。
 
善意からの言葉に対して、申し訳ないと思いながら。
 
もちろん妄想が入っています。相手の真意はわかりません。
 
 
 

当たり前の水準が高いと苦しい

 
・遅刻せずに職場に行く。
・課題を締め切りまでに提出する。
・身だしなみを整える。
 
これらは確かに、社会人としては「当たり前」の行動です。
最低限のルールやマナーですね。
 
ではこれらはどうでしょうか。
 
・必要な物を揃えて毎日通勤する。
・会社のデスクを整頓する。
・こまめに報・連。相(ほう・れん・そう)する。
 
いずれもきちんとするべき、した方が良いとされている事ですよね。
 
でも忘れてしまうことや、十分にできていないことも、私にはあります。
 
だから、この辺りがクリアできなければ、
「社会人なんだから。」
「給料もらっているんだから。」
 
と言われてしまうかもしれません。甘いと。
 
 
上にあげたことくらいは、毎日クリアしている人も、
実は職場で忘れないよう工夫して、何とかやってこれているのかもしれません。
 
難なくクリアしている人は、もっと当たり前の水準を上げて、それはそれで別のもっと高い目標の達成を目指して努力しているのかもしれません。
 
これは、仕事に限りません。下の動画を見てください。33秒以降に注目です。
 
 
 
「世の中、がんばること多すぎません?」というフレーズが響きます。
 
僕たちは、私生活でさえ
「もっと◯◯をしないといけないよ。」
「◯◯をしておかないと、将来大変なことになるよ。」
 
と言われ続けています。
そう思えば思うほど、自分を追い詰めることもあるのではでしょうか。
 
「私は、がんばっている自分が好き。」
 
これはとても良いことなのですが、
この言葉の裏に、
「がんばらなければ、おいていかれる。」
「このままの自分ではダメなんだ。」
 
という不足感があるのだとしたら、しんどい思いをしてしまいます。
 
すでにがんばっていることがあるのに、それを認められず、より高い基準や目標を自分に押し付けて苦しんでいる人は、一度「すでにやっていること」「もう、できていること」を認めてあげるとラクになれる気がします。
 
初めの質問に戻ります。
「がんばれ。」と言われるのと、「がんばっているね。」と言われるのはどちらがいいですか?