分類してもいいけど分断・分離しない(発達障害というあいまいな概念をどう捉えるか④)
以前、こんな記事を書きました。
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定型か、発達か。
私は、そもそもこの二元論で全ては語れないと考えています。
医学的には、診断がつくかどうかは大切な事ですが、つかないグレーゾーンの人もたくさんいます。
グレーゾーンの人も、仲間です。
特性に理解を示し、サポートしてくれる人も、仲間です。
そして、今はまだ発達障害の特性に理解のない人も、仲間にしていく必要があると思っています。
「そんなの、無理でしょう?」
「全く違うのだから。」
そう思うのも、無理はありません。
特性のあまりない人からすると、強く特性が出ている人の言動や行動が理解しにくいということはあると思います。
言葉は良くないですが、「別の星の人」のように感じられるかもしれません。
でも、この人達と自分達は、違う。
別次元の存在だ。
とすると、そこで終わりです。
分断分離して、異質な物とは関わらない。
そこから何も進みません。
「きれいごとを言うな。」
「その方が安全じゃないか。」
「何が悪いんだ?」
でも、「分離・分断する」という視点を持ち続けていれば、そのうち同じ集団にも向けられる可能性があります。
仲間だと思っていた同じコミュニティ内で「分離・分断」が起きるかもしれない、という事です。
私はADHD・ADDやグレーゾーンのコミュニティ「パステル」を運営しています。
各地の当事者会のリーダーが集まる「ピアリーダー研修会」に行ったとき、
「リーダーの人は、会に来た人をジャッジして欲しくない。」
という言葉を聞き、ハッとした事があります。
無意識に、「自分と合いそう。」
かどうか、ジャッジしていた自分に気が付いたからです。
どんな人だろうと、何かを求めて、わざわざ足を運んできてくれた事に変わりはない。
主催者はもっとフラットでいないといけない、と感じさせられた経験です。
自分を含めて、わざわざ色んな人が色んな当事者会やコミュニティを作るのは、安全な「居場所」が欲しいからだと思います。
似たような人が集まって、普段話せない事も安心して話せる場所には、自己理解を深め、しんどい思いをした人が回復していく力があると感じています。
話している方は「しっかり聞いてもらえている」と実感し、
聞いている方は「それ、あるある。」と共感する。
お互いにとっていい事があります。
家庭や職場に次ぐ第3の居場所、サードプレイスがある事には、意味があるのです。
でも、当事者会は「特別な場所」なので、いずれは家庭や職場など、普段の生活に戻っていかねばなりません。
戻ったときに、自分や周りによい影響がある。
少し気持ちに余裕がもてる。
会で話し合ったADHD改善策や工夫を試してみる。
職場の人への特性の伝え方を考えて、少し話してみる。
サードプレイスは、家庭や職場と行き来しながら、楽しく話して、自信が回復できるような場所になったらいいと思っています。
特性のある人も、そうでない人に対して「閉じない」姿勢は大切なのではないでしょうか。
発達障害とは直接関係がありませんが、この記事を書くにあたって、以下の記事からアイデアを頂きました。
ありがとうございます。
パステルは今月も開催します。
当事者の方がゲストで参加されます。
まだ残席が3ありますので、よろしければ。