発達障害グレーゾーンについて考える②
前回に引き続き、発達障害グレーゾーンついての記事です。
まずは以下の文章をお読みください。
重要なのは「グレーゾーン/傾向がある」という診断が必ずしも当事者の生きづらさの「軽さ」を意味しないという事実です。
発達障害の特性が見えづらいためにかえって周囲からの理解が得られずご本人の苦しみはむしろ深いケースも意外に多いものです。
ですから「グレーゾーン/傾向がある」程度なら放っておいていいと即断するのは禁物で困難や生きづらさがある場合はなんらかの対策・支援が望まれます。
株式会社Kaienのサイトより
グレーゾーンだから、診断基準を満たす人よりも程度が軽い、問題が小さいということはありません。
むしろ周囲に相談したり、十分にサポートを受けたりすることができない分、困り感は大きいと考えられます。
周りから見て問題がなさそうな人も、実は困難を抱えている人は多くいます。(これは発達障害に限ったことではありませんが)
再び、株式会社Kaienのサイトより引用です。
「グレーゾーン」「傾向がある」と言われた場合は、発達障害と自認して障害者手帳を申請したりお薬を飲んだりしてもよいし、工夫や努力を重ねて今の職場や生活を維持することを考えてもよいし、ご本人に委ねられている状態と考えることも出来ます。
いわゆる普通に生きることも出来なくもないし、福祉制度などを利用して配慮を受けることも検討できるし、どちらの道とも医師が判断しにくい状態かもしれません。
つまり「診断しても良いけれども、あなたにそれが有利になるか不利になるか微妙なラインです」というメッセージだと考えられるわけです。
多くのクリニックや病院では診察時間は一ヶ月に5~10分程度ですので医師だけに頼ろうとせずご家族や発達障害の専門家などに相談ができると良いでしょう。
何て微妙な状態なんだろう・・・。
診断を受けるメリットは、
- 投薬してもらえる
- 福祉制度などの利用に繋げられる
- 特性をもっていることの証明ができる
ことだと考えています。
こういったメリットを生かして生活を送りたいかどうかが、判断材料になりそうです。
グレーゾーンの人や、周囲の人たちがどうすれば生きやすくなるのか。
自分には何ができるのか。
発達障害グレーゾーンについて考える。NHKハートネットTVの特集を見ました。
「診断を受けた方が、支援を受けられるからいい。」「白黒はっきりされるのが怖い。あいまいなままでいた方が気が楽。」自分自身のグレーゾーン対しても、色々な捉え方があった。#ハートネットtv#発達障害https://t.co/jFvrnqSuyQ
— Manbow (@Manbow_pastel) November 17, 2019
グレーゾーンの方の話によると、同じ「診断を受ける」ということについても捉え方が全く異なっていました。
「白黒はっきりしない方がいい。はっきりさせるのが怖い。」
「診断してもらえた方が、支援を受けられるし対策を打てる。配慮してもらいやすいという点で診断を受けた方がいい。」
どちらの意見も、わかるなあ。
このグレーゾーンの特集、数回に渡って放送されているようで、別の回では
・「できる」と「できない」の間に「できるけど疲れる」ことがある
と語られていました。
他の人と同じようにサクっとはできないが、相当がんばればできる。エネルギーをフルに使えば何とかこなせる。
といったことは、実感としてあります。
職場にはクローズドにしている人も多いであろうグレーゾーンの方は、こういうところで「無理をしがち」になり、疲れる人も多いのではないでしょうか。
がんばって働いている人の、特性への対処法も紹介されていました。
・営業先で行った商談の内容をすぐ忘れる
→会社に帰る前に商談内容をメールで会社のパソコンに送って、会社に戻ってからまとめる。
・リアルタイムで話をまとめるのが難しい
→手順を紙に書いて、一度頭の中で整理すると、心に余裕ができる。
自分の特性を知り、社会生活を送るためのサバイバルスキルを身につけることは、必要ですね。
発達障害の特性に、良いも悪いもない。
「空気が読めない」とか、「同時並行で処理するのが苦手」といった脳のクセに起因する発達障害の特性に、本来良いも悪いもないというお話です。
上の例で考えると、以下のようなエピソードが考えられます。
・「空気が読めない」ので、話し相手の気分を察することができず、その場にそぐわない失礼な発言をしてしまい、友人に嫌な顔をされてしまった。
・同時に複数の案件を進めようとして、大量に抜け漏れが発生し、仕事が遅くなって締め切りに間に合わず、上司に叱責された。
発達障害でなくても、このような失敗は起こり得ます。
ただ、特性のある人は失敗の程度や頻度がすさまじく、それが元で仕事や友人関係などに支障をきたすことがあります。
自分が周りの人と同じようにできない。人から責められたり、自分を責めたりすることで、「だから自分はだめなんだ。」と自己嫌悪に陥る。
何度も同じような失敗を繰り返して、「だめだ」という思考が強化されていく。
そんな経験が、私にもあります。
でも、本当にだめなのでしょうか?
「簡単にできる」「できにくい」という能力的な凸凹はあります。
(あえて今日は「できる」「できない」という表現をしません。工夫や改善によって「できる」ようになるケースもあるからです。)
でも、本来は特性に良いも悪いもないのです。
発達障害の特性は生まれつきのものです。
不注意などの特性を薬などで軽減することはできますが、消すことはできません。
もし生まれつきの特性に良し悪しがあるのなら、「良い赤ちゃん」や「悪い赤ちゃん」も存在するはずです。
生まれたときから、
「自分はだめなんだ。なんでこんなにできないんだ。」
と打ちひしがれている赤ちゃんがいるでしょうか。
能力的な凸凹はあって、それによってうまく行かないことを「良い」とか「悪い」と決めているのは、周りの人や自分です。
「事実」に対して、「評価や判断」をしているのです。
事実と評価・判断は、明確に切り離す必要があります。
何かがうまくできないから人間としてだめなんてことはありません。
生まれたばかりの頃は、「生まれてきてくれてありがとう」とか、「何か一つできることが増えて拍手」なのに、大人になるにつれて、いつの間にか「○○ができないからだめだ」「こんなこともできないの」になっていく。少し寂しい。
— Manbow (@Manbow_pastel) 2019年11月16日
フラットに、評価や判断をしない(これが大人には難しいのですが)ことで、「ありのまま」のその人が見えてくるのかも、いうお話でした。
自分の特性を色んな言葉で表現する
発達障害の特性は、目には見えません。見えるのは、その人の行動だけです。#発達障害
— Manbow (@Manbow_pastel) 2019年11月15日
発達障害の特性は、目には見えません。見えるのは、その人の行動だけです。
例えばADHD特性をもつ人は、注意力散漫で忘れっぽい傾向があります。
短期記憶が弱いのです。
ただ、程度や頻度には個人差があります。
どんな状況で、どのくらいの頻度で起こるかは、人によって違うのです。
同じADHDでも、エピソードが、人の数ほどあるということです。
私は主催しているADHDコミュニティパステルで参加者の方と話をしていると、同じ特性でも、「そんな言い方もあるんだ。」と思うことがよくあります。
様々なエピソードの中から共通項を見つけられると共感できますし、
自分にはできなかった表現で、特性やエピソードについて聞けるのは楽しいです。
先に挙げた「忘れっぽい(短期記憶が弱い)」という特性について、自分なりの表現をしてみます。
・打ち上げ花火
次から次へと湧いてくる思考(ADHDタイプの人は思考も多動な人が多いので思考過多な人な傾向あり)。でもすぐに消えて、また次の思考がわいてくる。中には弾けずに(意識にはっきりと上がってこずに)不発で終わるものもある。
それがスピーディーに繰り返される様子が、打ち上げ花火にそっくり。
・ビリヤード
一つ新しい思考(球)が飛んでくると、他の思考や記憶は跳ね飛ばされて、さっきまで何を考えていたかわからなくなる。そんな様子は、さながらビリヤードのようです。
突然ですが、ここで一句。
閃いて
玉突き式に
ぬけていく
自分の特性を色んな言葉で表現すると、 特性がない人にもわかりやすく伝えられるのではないでしょうか。
グッドバイブスとマインドフルネスで「今ここ」を意識する
大切なので、いろんなところで、いろんな言い方で言われていると思うのです。
佐々木正悟さんの#グッドモーニングバイブス。「今ここ」の話。マインドフルネスの話も少し出てきます。#グッドバイブス#マインドフルネスhttps://t.co/URqI4wk8bD
— Manbow (@Manbow_pastel) 2019年11月10日
many-pastel-color.hatenadiary.com
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マインドフルネスでもグッドバイブスでも、過去でも未来ではなく「今、ここ」に意識を向けることの大切さが語られています。
自分を過去→現在→未来の連続で捉えず、無数の「今」の連続で捉える。
今していることに意識や注意を向けると、次に挙げるような「囚われている状態」から抜け出すことができます。
ADHDの特性があることで、自分が恐れていることは何なのか。
前回の記事(リンク)でも書いたように、発達障害の特性があることを正しく理解してもらうことは、結構難しいと感じています。
決してできない、と言っているわけではありません。
先日、ある相談をしました。
「職場で、行動が目立ち浮き気味な人がいて、周りからよく思われていない。僕もよく思っていない。でも、その人を排除するのは違う気がする。」
という内容です。
相談した内容は自分のことではなかったのですが、話した後、自分が何に恐れているか、どんな風に接してもらえたらありがたいのか、ということが、言語化できる気がしました。
自分は恐れていることは何なのか
ズバリ、自分が他の人と違う人間だと見なされ、排除されることです。
自分が、他の多数派の人とは違う生き物と見られて、同じ人間だと扱われなかったら嫌だ。見捨てられてら悲しい。
大人だから表向きには普通に接してくれていても、心の中では「冷たい境界線」が引かれていたらどうしよう。
そういう恐れや不安があったのです。
だから必死に「普通」(平均的で目立たない)ようにしていようとしていた時期もありました。
特性のある自分をどのように捉えるか
薬を処方してもらったり、様々な制度を利用するために診断基準は必要で、医学的にはある程度白黒はっきりさせる必要があると思います。
ただ、そこに囚われすぎるのは、よくないと思うのです。
ネットで発達障害のある方が
「定型の人が嫌いです。」
といった書き込みを見たことがあります。
色々と、理解されず辛い経験があったのかもしれないと推測します。
ですが、特性があまり強くない人から、サポートを多く受けられることもあると思うのです。
(だって、あまり特性のない人は、特性のある人には難しいことを、いとも簡単にこなしてしまうことも多いのです。味方にすればこれほど強い存在はありません。)
特性のあるなしで区切り、「発達障害特性のある人」「ない人」できっぱり分けてしまうことには、違和感があります。白黒はっきりしないグレーゾーンの人も多く存在しますし、そもそも特性の全く無い「真っ白な人」なんて、存在しないからです。